05.17.05:29
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09.09.04:35
ただ、会いたい。
俺の今の携帯はボダフォ機種でもう三年以上使っていて替え時を逃しかけてる年季物だ。
一応メールはグループ分けした人毎にフォルダ別に入るようにして保存メール、保護メールもかなりある。何年も前の旅行画像とかもメモリが許す限り残してる。
でもボイスメモと留守録は今のところ一件ずつだけ残ってる。
ボイスメモは毎日幸せを感じていた何年構えの何気ない電話で聞いた幸せなセリフを録音した。
留守録は今まで生きて来て一番最悪に悲しかったその瞬間のもの。
SDカードいれてないからメモリの多くはない携帯で、何度も消そうかと思ったけど、ずっと消せずにいる。
今となってはある意味どちらも怖くて消せない。
前者は今まで辛い時や寂しく思った時に何度となく聴いた。後者は留守録に気付いた数分後にたった一度しか聴いていない。あまりの悲しさを感じるたった一言のセリフを再度聞くことなどできない。
今でもふと何気ない瞬間に絶望的な悲しみを思い出して涙が止まらなくなる時がある。それがまさに今なのだけど…。
お腹に我が子が居た時に考えていたこともあるし、我が子がばーちゃんの誕生日の次の日に生まれたのもあるが、時々我が子の顔とばーちゃんの顔が重なって見えることがある。
誰より一番生まれるを待ち遠しく思ってくれてたであろうばーちゃんと「ここが誰似だ」なんて会話が出来ないのが酷く寂しく思う。誰より細かくいちいち説明してくれたろうに。
思い出せば俺が大学出て働き出した頃、俺が結婚するまでは死ねないなぁ、孫を抱くまで死ねないなぁ、なんて冗談混じりで言ってた。
退院してすぐばーちゃんに孫の顔を見せにいったけどあまりに寂しくなって遺影が見れなかった。
今でもばーちゃんち行くと何でじーちゃんしか居ないんだろって気分になる。
畑に向かって今までのように大声でばーちゃんを呼んでも居ないのは分かってるけど、居ないと思うと余計に会いたくて会いたくて堪らなくなる。
自分が親になってもそんな感情は子供じみててどうしようもない。
寂しくて悲しくて涙が止めないこんなときはなぜか近くにばーちゃんがいるような気がするんだ。
どんなに寂しく思っても今はいつも隣りに我が子が居てくれるから、前より頑張れる気がする。
大事なばーちゃんの鉢植え、ゼフィランサス。
8~9月に咲くはずなのに、どうしてかな……いまだに細長い葉っぱばっかり長くなってて花が咲く気配が無いんだ。
この花が咲く日と、ばーちゃんの誕生日と我が子の誕生日、、、どれが先かなんて言ってたけど、ばーちゃんの誕生日が先だったね。
ごめんね、今年も誕生日プレゼントあげれなかった。毎年何がいいか悩んでやめちゃうんだよね。
でも今年は孫の顔見せたからきっとそれで十分だって言ってくれるよね。
きっとばーちゃんの人生の丁度72年目からはこの子が代わりに生きて行くんだね。この子はこの子だけど、俺にはそう思わずにはいられない。
ばーちゃんの妹が心筋梗塞が起き急遽入院したらしい。昨日うちの親に連絡があった。
旦那の家と同じ地区に住んでいて、ばーちゃんが亡くなった時一番優しい言葉を掛けてくれたのがおばさん夫婦だった。とても心配だ…。意識はあるがまだ集中治療室にいるらしい。本気で早く元気になってくれるといいが…。
どうやらばーちゃんの家系は心臓が弱いらしい。
だめだ、涙が出過ぎて目が腫れてきた。なぜか歯も痛い気がする。軽く頭痛もする。
……寝るか。
我が子がすぐ隣りで寝ながらも「伸び」をしてる。
なんか伸びをしてるのを見ると一番ほっとする。ああ、生きてる、って思うから。
早く大きくなって一緒に買い物したい。お互いにどんな服が似合うよなんて話をしたい。
親になっても自分が大人には感じない俺だからこの子の一番の理解者になってやれる自信がある。
早く大きくなって。いろんな話をしようね、我が子。
一応メールはグループ分けした人毎にフォルダ別に入るようにして保存メール、保護メールもかなりある。何年も前の旅行画像とかもメモリが許す限り残してる。
でもボイスメモと留守録は今のところ一件ずつだけ残ってる。
ボイスメモは毎日幸せを感じていた何年構えの何気ない電話で聞いた幸せなセリフを録音した。
留守録は今まで生きて来て一番最悪に悲しかったその瞬間のもの。
SDカードいれてないからメモリの多くはない携帯で、何度も消そうかと思ったけど、ずっと消せずにいる。
今となってはある意味どちらも怖くて消せない。
前者は今まで辛い時や寂しく思った時に何度となく聴いた。後者は留守録に気付いた数分後にたった一度しか聴いていない。あまりの悲しさを感じるたった一言のセリフを再度聞くことなどできない。
今でもふと何気ない瞬間に絶望的な悲しみを思い出して涙が止まらなくなる時がある。それがまさに今なのだけど…。
お腹に我が子が居た時に考えていたこともあるし、我が子がばーちゃんの誕生日の次の日に生まれたのもあるが、時々我が子の顔とばーちゃんの顔が重なって見えることがある。
誰より一番生まれるを待ち遠しく思ってくれてたであろうばーちゃんと「ここが誰似だ」なんて会話が出来ないのが酷く寂しく思う。誰より細かくいちいち説明してくれたろうに。
思い出せば俺が大学出て働き出した頃、俺が結婚するまでは死ねないなぁ、孫を抱くまで死ねないなぁ、なんて冗談混じりで言ってた。
退院してすぐばーちゃんに孫の顔を見せにいったけどあまりに寂しくなって遺影が見れなかった。
今でもばーちゃんち行くと何でじーちゃんしか居ないんだろって気分になる。
畑に向かって今までのように大声でばーちゃんを呼んでも居ないのは分かってるけど、居ないと思うと余計に会いたくて会いたくて堪らなくなる。
自分が親になってもそんな感情は子供じみててどうしようもない。
寂しくて悲しくて涙が止めないこんなときはなぜか近くにばーちゃんがいるような気がするんだ。
どんなに寂しく思っても今はいつも隣りに我が子が居てくれるから、前より頑張れる気がする。
大事なばーちゃんの鉢植え、ゼフィランサス。
8~9月に咲くはずなのに、どうしてかな……いまだに細長い葉っぱばっかり長くなってて花が咲く気配が無いんだ。
この花が咲く日と、ばーちゃんの誕生日と我が子の誕生日、、、どれが先かなんて言ってたけど、ばーちゃんの誕生日が先だったね。
ごめんね、今年も誕生日プレゼントあげれなかった。毎年何がいいか悩んでやめちゃうんだよね。
でも今年は孫の顔見せたからきっとそれで十分だって言ってくれるよね。
きっとばーちゃんの人生の丁度72年目からはこの子が代わりに生きて行くんだね。この子はこの子だけど、俺にはそう思わずにはいられない。
ばーちゃんの妹が心筋梗塞が起き急遽入院したらしい。昨日うちの親に連絡があった。
旦那の家と同じ地区に住んでいて、ばーちゃんが亡くなった時一番優しい言葉を掛けてくれたのがおばさん夫婦だった。とても心配だ…。意識はあるがまだ集中治療室にいるらしい。本気で早く元気になってくれるといいが…。
どうやらばーちゃんの家系は心臓が弱いらしい。
だめだ、涙が出過ぎて目が腫れてきた。なぜか歯も痛い気がする。軽く頭痛もする。
……寝るか。
我が子がすぐ隣りで寝ながらも「伸び」をしてる。
なんか伸びをしてるのを見ると一番ほっとする。ああ、生きてる、って思うから。
早く大きくなって一緒に買い物したい。お互いにどんな服が似合うよなんて話をしたい。
親になっても自分が大人には感じない俺だからこの子の一番の理解者になってやれる自信がある。
早く大きくなって。いろんな話をしようね、我が子。
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