04.30.04:27
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10.14.00:31
変わってないね・・・
この一年で俺、何も変わってないね。
下の記事を見る限り、本当に何も変わってない。
自分で自分を追い詰めることをやめて心の中をちょっとぼやかしてる状態ではあるけど、大筋は何も変わってない。
今でも腹立たしいことは同じだし、泣きたくなることも変わらない。
よく、ストレスフルな気分になると思うことがあるんだ。
自分を第一、すぐ近くにいる誰かを第二(いわゆる二人称)として、しばらくその環境が固定された状態をキープし続けるとする。それは生活環境だったり、人間関係だったりする。
すると、当然ストレスだってその間に湧いてきて、その環境を破壊したり、どうにかしてその現状を確かめたくなる。
つまりは自分とその第二者の間に第三者を入れたくて仕方なくなるんだ。
その第三者は人間関係でいうと本当の第三者であって、初めて知り合ってある程度うちとけた人間だったり、知人なんだか友達なんだかみたいな曖昧な人間関係を築いている人間だったりした。
その第三者を俺はほぼ心の中でだけだったけど、皮肉も込めて「ダシ」と呼んでいた。
本当に皮肉なことに、偶然かわからないけれども、
何人かいたその人たちと嫌いあうわけでもないし、むしろ、たわいない話や相談話を重ねていくうちにどんどん仲良くなっていくと錯覚めいていくというのに、
一つの蟠りが解けると毎日とか毎週とか会っていたその人たちは突然何かのきっかけを機に俺の前からいなくなってしまうんだ。それはもうリアルに。全員が。
連絡が途絶えたり、他県に行ってしまったり、入り浸っていた場所がなくなってしまったりと・・・。
正直、その人たちに、後々友人として末長く仲良くいてほしいというほど期待をした人は本当にごく希な人だけだけど、、、ある意味友人以上に、その第三者として常に誰か一人居てくれ、って思ってる。
本当にそれは誰でもいいんだ。仮面友人的であっても、嫌いあうことすらなければ。
それはもしかしたら友人でも賄えるものなのかもしれない。
けど、でもそれじゃたぶんダメなんだ。
今までの自分を知らない誰かが一番望ましい。
そして今またそんな気分に駆られてる。
それは人から言わせれば、
浮気や失恋につながるものかもしれないし、チャットやネトゲをする理由なのかもしれないし、ホストやキャバクラなんてとこに行く理由になるのかもしれない(行ったことないけど。
だって、心が弱ってるときの一つの行動のきっかけなんだから。
それをまた今欲している自分がいる・・・。
単純に上でいうダシ以前に、友人知人にも気軽に会えなくなった状況とか環境がもう第二者になっているってだけかもしれない。ただ話せる誰かが欲しいだけかもしれない。
確かに話しているうちはとても楽な気持ちになれるのはわかってる。
だけどやっぱりそうじゃないんだ。
求めてるものはずっと違うところにある。
ちゃんと家族も友人もいるはずなのに・・・なんでこんなに寂しい考えしか起こせないんだろうなぁ俺。
下の記事を見る限り、本当に何も変わってない。
自分で自分を追い詰めることをやめて心の中をちょっとぼやかしてる状態ではあるけど、大筋は何も変わってない。
今でも腹立たしいことは同じだし、泣きたくなることも変わらない。
よく、ストレスフルな気分になると思うことがあるんだ。
自分を第一、すぐ近くにいる誰かを第二(いわゆる二人称)として、しばらくその環境が固定された状態をキープし続けるとする。それは生活環境だったり、人間関係だったりする。
すると、当然ストレスだってその間に湧いてきて、その環境を破壊したり、どうにかしてその現状を確かめたくなる。
つまりは自分とその第二者の間に第三者を入れたくて仕方なくなるんだ。
その第三者は人間関係でいうと本当の第三者であって、初めて知り合ってある程度うちとけた人間だったり、知人なんだか友達なんだかみたいな曖昧な人間関係を築いている人間だったりした。
その第三者を俺はほぼ心の中でだけだったけど、皮肉も込めて「ダシ」と呼んでいた。
本当に皮肉なことに、偶然かわからないけれども、
何人かいたその人たちと嫌いあうわけでもないし、むしろ、たわいない話や相談話を重ねていくうちにどんどん仲良くなっていくと錯覚めいていくというのに、
一つの蟠りが解けると毎日とか毎週とか会っていたその人たちは突然何かのきっかけを機に俺の前からいなくなってしまうんだ。それはもうリアルに。全員が。
連絡が途絶えたり、他県に行ってしまったり、入り浸っていた場所がなくなってしまったりと・・・。
正直、その人たちに、後々友人として末長く仲良くいてほしいというほど期待をした人は本当にごく希な人だけだけど、、、ある意味友人以上に、その第三者として常に誰か一人居てくれ、って思ってる。
本当にそれは誰でもいいんだ。仮面友人的であっても、嫌いあうことすらなければ。
それはもしかしたら友人でも賄えるものなのかもしれない。
けど、でもそれじゃたぶんダメなんだ。
今までの自分を知らない誰かが一番望ましい。
そして今またそんな気分に駆られてる。
それは人から言わせれば、
浮気や失恋につながるものかもしれないし、チャットやネトゲをする理由なのかもしれないし、ホストやキャバクラなんてとこに行く理由になるのかもしれない(行ったことないけど。
だって、心が弱ってるときの一つの行動のきっかけなんだから。
それをまた今欲している自分がいる・・・。
単純に上でいうダシ以前に、友人知人にも気軽に会えなくなった状況とか環境がもう第二者になっているってだけかもしれない。ただ話せる誰かが欲しいだけかもしれない。
確かに話しているうちはとても楽な気持ちになれるのはわかってる。
だけどやっぱりそうじゃないんだ。
求めてるものはずっと違うところにある。
ちゃんと家族も友人もいるはずなのに・・・なんでこんなに寂しい考えしか起こせないんだろうなぁ俺。
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10.08.08:49
深イイ(?)愚痴申す。
女は時がたてば良くも悪くも勝手に女になるものだけど、男は自分から男にならないとただの男にすらなれない。>自論
自分<<妻<<<<母<<嫁?
なんかほんと疲れてきた。割とね、育児は疲れないんだよ。育児だけなら疲れないんだよ、の間違いか。我が子の世話を主体で物事を考えたり行動したりするようになるから頭の中でそれが当たり前に感じてる。ただそうなると、それ以外のことが疲れる。それ以外のことに行動や思考をさくことが疲れる。
少なくとも自己管理くらい自分でやれとか、人間的にちっちぇえな、とか、親として先輩だからってだけでさも自分が正しいかのような言い草とか、自分の立場をいい加減わきまえろとか、気に食わない人間が我が子に語りかけてるだけでも、やったらめったら癪に障るというか、なんで俺この家にいるんだろうとか思う瞬間とか、こんな風に考えてしまうのは誰のせいだろうとか、あきれてものが言えないとか、
嗚呼!疲れた!眠い!うぜぇ!てめぇ俺に刺されたいのか?っていう瞬間が多すぎてたまんないんスけどどうすればいいんデスか。誰か教えてください。
いいよもう。寝るよ。。。
自分<<妻<<<<母<<嫁?
なんかほんと疲れてきた。割とね、育児は疲れないんだよ。育児だけなら疲れないんだよ、の間違いか。我が子の世話を主体で物事を考えたり行動したりするようになるから頭の中でそれが当たり前に感じてる。ただそうなると、それ以外のことが疲れる。それ以外のことに行動や思考をさくことが疲れる。
少なくとも自己管理くらい自分でやれとか、人間的にちっちぇえな、とか、親として先輩だからってだけでさも自分が正しいかのような言い草とか、自分の立場をいい加減わきまえろとか、気に食わない人間が我が子に語りかけてるだけでも、やったらめったら癪に障るというか、なんで俺この家にいるんだろうとか思う瞬間とか、こんな風に考えてしまうのは誰のせいだろうとか、あきれてものが言えないとか、
嗚呼!疲れた!眠い!うぜぇ!てめぇ俺に刺されたいのか?っていう瞬間が多すぎてたまんないんスけどどうすればいいんデスか。誰か教えてください。
いいよもう。寝るよ。。。
09.09.04:35
ただ、会いたい。
俺の今の携帯はボダフォ機種でもう三年以上使っていて替え時を逃しかけてる年季物だ。
一応メールはグループ分けした人毎にフォルダ別に入るようにして保存メール、保護メールもかなりある。何年も前の旅行画像とかもメモリが許す限り残してる。
でもボイスメモと留守録は今のところ一件ずつだけ残ってる。
ボイスメモは毎日幸せを感じていた何年構えの何気ない電話で聞いた幸せなセリフを録音した。
留守録は今まで生きて来て一番最悪に悲しかったその瞬間のもの。
SDカードいれてないからメモリの多くはない携帯で、何度も消そうかと思ったけど、ずっと消せずにいる。
今となってはある意味どちらも怖くて消せない。
前者は今まで辛い時や寂しく思った時に何度となく聴いた。後者は留守録に気付いた数分後にたった一度しか聴いていない。あまりの悲しさを感じるたった一言のセリフを再度聞くことなどできない。
今でもふと何気ない瞬間に絶望的な悲しみを思い出して涙が止まらなくなる時がある。それがまさに今なのだけど…。
お腹に我が子が居た時に考えていたこともあるし、我が子がばーちゃんの誕生日の次の日に生まれたのもあるが、時々我が子の顔とばーちゃんの顔が重なって見えることがある。
誰より一番生まれるを待ち遠しく思ってくれてたであろうばーちゃんと「ここが誰似だ」なんて会話が出来ないのが酷く寂しく思う。誰より細かくいちいち説明してくれたろうに。
思い出せば俺が大学出て働き出した頃、俺が結婚するまでは死ねないなぁ、孫を抱くまで死ねないなぁ、なんて冗談混じりで言ってた。
退院してすぐばーちゃんに孫の顔を見せにいったけどあまりに寂しくなって遺影が見れなかった。
今でもばーちゃんち行くと何でじーちゃんしか居ないんだろって気分になる。
畑に向かって今までのように大声でばーちゃんを呼んでも居ないのは分かってるけど、居ないと思うと余計に会いたくて会いたくて堪らなくなる。
自分が親になってもそんな感情は子供じみててどうしようもない。
寂しくて悲しくて涙が止めないこんなときはなぜか近くにばーちゃんがいるような気がするんだ。
どんなに寂しく思っても今はいつも隣りに我が子が居てくれるから、前より頑張れる気がする。
大事なばーちゃんの鉢植え、ゼフィランサス。
8~9月に咲くはずなのに、どうしてかな……いまだに細長い葉っぱばっかり長くなってて花が咲く気配が無いんだ。
この花が咲く日と、ばーちゃんの誕生日と我が子の誕生日、、、どれが先かなんて言ってたけど、ばーちゃんの誕生日が先だったね。
ごめんね、今年も誕生日プレゼントあげれなかった。毎年何がいいか悩んでやめちゃうんだよね。
でも今年は孫の顔見せたからきっとそれで十分だって言ってくれるよね。
きっとばーちゃんの人生の丁度72年目からはこの子が代わりに生きて行くんだね。この子はこの子だけど、俺にはそう思わずにはいられない。
ばーちゃんの妹が心筋梗塞が起き急遽入院したらしい。昨日うちの親に連絡があった。
旦那の家と同じ地区に住んでいて、ばーちゃんが亡くなった時一番優しい言葉を掛けてくれたのがおばさん夫婦だった。とても心配だ…。意識はあるがまだ集中治療室にいるらしい。本気で早く元気になってくれるといいが…。
どうやらばーちゃんの家系は心臓が弱いらしい。
だめだ、涙が出過ぎて目が腫れてきた。なぜか歯も痛い気がする。軽く頭痛もする。
……寝るか。
我が子がすぐ隣りで寝ながらも「伸び」をしてる。
なんか伸びをしてるのを見ると一番ほっとする。ああ、生きてる、って思うから。
早く大きくなって一緒に買い物したい。お互いにどんな服が似合うよなんて話をしたい。
親になっても自分が大人には感じない俺だからこの子の一番の理解者になってやれる自信がある。
早く大きくなって。いろんな話をしようね、我が子。
一応メールはグループ分けした人毎にフォルダ別に入るようにして保存メール、保護メールもかなりある。何年も前の旅行画像とかもメモリが許す限り残してる。
でもボイスメモと留守録は今のところ一件ずつだけ残ってる。
ボイスメモは毎日幸せを感じていた何年構えの何気ない電話で聞いた幸せなセリフを録音した。
留守録は今まで生きて来て一番最悪に悲しかったその瞬間のもの。
SDカードいれてないからメモリの多くはない携帯で、何度も消そうかと思ったけど、ずっと消せずにいる。
今となってはある意味どちらも怖くて消せない。
前者は今まで辛い時や寂しく思った時に何度となく聴いた。後者は留守録に気付いた数分後にたった一度しか聴いていない。あまりの悲しさを感じるたった一言のセリフを再度聞くことなどできない。
今でもふと何気ない瞬間に絶望的な悲しみを思い出して涙が止まらなくなる時がある。それがまさに今なのだけど…。
お腹に我が子が居た時に考えていたこともあるし、我が子がばーちゃんの誕生日の次の日に生まれたのもあるが、時々我が子の顔とばーちゃんの顔が重なって見えることがある。
誰より一番生まれるを待ち遠しく思ってくれてたであろうばーちゃんと「ここが誰似だ」なんて会話が出来ないのが酷く寂しく思う。誰より細かくいちいち説明してくれたろうに。
思い出せば俺が大学出て働き出した頃、俺が結婚するまでは死ねないなぁ、孫を抱くまで死ねないなぁ、なんて冗談混じりで言ってた。
退院してすぐばーちゃんに孫の顔を見せにいったけどあまりに寂しくなって遺影が見れなかった。
今でもばーちゃんち行くと何でじーちゃんしか居ないんだろって気分になる。
畑に向かって今までのように大声でばーちゃんを呼んでも居ないのは分かってるけど、居ないと思うと余計に会いたくて会いたくて堪らなくなる。
自分が親になってもそんな感情は子供じみててどうしようもない。
寂しくて悲しくて涙が止めないこんなときはなぜか近くにばーちゃんがいるような気がするんだ。
どんなに寂しく思っても今はいつも隣りに我が子が居てくれるから、前より頑張れる気がする。
大事なばーちゃんの鉢植え、ゼフィランサス。
8~9月に咲くはずなのに、どうしてかな……いまだに細長い葉っぱばっかり長くなってて花が咲く気配が無いんだ。
この花が咲く日と、ばーちゃんの誕生日と我が子の誕生日、、、どれが先かなんて言ってたけど、ばーちゃんの誕生日が先だったね。
ごめんね、今年も誕生日プレゼントあげれなかった。毎年何がいいか悩んでやめちゃうんだよね。
でも今年は孫の顔見せたからきっとそれで十分だって言ってくれるよね。
きっとばーちゃんの人生の丁度72年目からはこの子が代わりに生きて行くんだね。この子はこの子だけど、俺にはそう思わずにはいられない。
ばーちゃんの妹が心筋梗塞が起き急遽入院したらしい。昨日うちの親に連絡があった。
旦那の家と同じ地区に住んでいて、ばーちゃんが亡くなった時一番優しい言葉を掛けてくれたのがおばさん夫婦だった。とても心配だ…。意識はあるがまだ集中治療室にいるらしい。本気で早く元気になってくれるといいが…。
どうやらばーちゃんの家系は心臓が弱いらしい。
だめだ、涙が出過ぎて目が腫れてきた。なぜか歯も痛い気がする。軽く頭痛もする。
……寝るか。
我が子がすぐ隣りで寝ながらも「伸び」をしてる。
なんか伸びをしてるのを見ると一番ほっとする。ああ、生きてる、って思うから。
早く大きくなって一緒に買い物したい。お互いにどんな服が似合うよなんて話をしたい。
親になっても自分が大人には感じない俺だからこの子の一番の理解者になってやれる自信がある。
早く大きくなって。いろんな話をしようね、我が子。
05.06.16:01
それが大事
すくすく育ってます。
結婚式の披露宴で私のお色直し前にばーちゃんと一時退場したとき、ひっそり渡したプレゼント、「ゼフィランサス」という白い花の球根と植木鉢。
花言葉にも深い意味があるがそれは知りたいやつだけ調べるといい。
俺の子が生まれる予定日が8/10、ばーちゃんの誕生日8/13、この花も(四月に植えて)八月に咲くからどれが早いか競争だよって言って渡した、俺からばーちゃんにとっておきのさいごのプレゼント。
新婚旅行のお土産を渡しにいった日、もう鉢に植えたと言ってた。
その一週間後にばーちゃんが他界した……。
亡くなったその日、予約をいれていたので気分じゃなかったが産婦人科に行った。
診察待ちしている間も気分が切り替えられることなく手の震えが泊まらなかった。
酷く肩が重く、泣いたせいか頭が痛く、どこかから誰かに見られている感じがずっとしていた。
その時の診察で初めてお腹の子が女の子だと分かった。
診察が終わるとなぜか肩も頭も痛みが引いていた。
きっとばーちゃんも気になって見に来たのだろうと勝手に納得した。
ばーちゃんはたくさんの花を育ててて、たくさんの鉢植が通夜前に別所によけられてた。でもこの鉢だけその中になくて、気になってた俺はみんなが火葬場に行ってる間留守番だったから探して、見つけた。
鉢が二つだけ大切そうに稲の苗が並んだ温室ハウスの隅に置かれてた……。球根が多かったのか二つに分けて植えたらしく、どちらも同じ名の書かれた札がさしてあった。
入院してた一週間くらいの間、水をもらえなかったのか土が乾いてて、、、たまらない気持ちが胸一杯になった。
水をやって片方の鉢だけうちに持ち帰った。もう片方はじーちゃんに頼んだ。
人は死んだ時にその人の価値が分かると言うが、ばーちゃんの葬儀はかなり盛大に行われた。
通夜だけで家に入りきらない人数、軽く100人以上の人が参拝し、火葬場でも一部屋に収まらず急遽二部屋借りたほどらしい。
頂いた香典を数えると総計400人以上の人がばーちゃんの訃報を聞いて来たとの事。
俺はもっぱら賄い隊の近所のおばちゃん達と一緒にいたわけだが、どこからもばーちゃんを褒め称えるような話こそすれ、悪口のような話は一切聴こえてこなかった。
あまり歩き回る人じゃないのに、誰にでも明るく元気だったせいか地元では割と人気も高かったようで俺も知らない人達が沢山集まって皆が酷く悲しんでいた。
中でも印象的たったのは、幼稚園の先生と幼稚園に通う子供数人(知り合いの子供だったらしい)。棺の中のばーちゃんを見てよく分からないようなきょとんとした顔をしながら「バイバイ」といって去っていった。
ばーちゃんは亡くなる前数日間検査入院していたわけだが、その間が平日だったためとそこまでは酷くないと聞いていた俺はお見舞いにいけなかった。
亡くなったのが土曜の昼で、その日に見舞いに行こうと思っていた人がほとんど。
いとこたちも俺もその日にお見舞いに行こうとしていたため、結構後悔している。
前日まで普通に元気に話していたらしく、見舞いに行った人達がこぞって俺の結婚式の話をされたと言っていた。
どうやら入院している時も結婚式の写真を大量に持っていたようで、来る人来る人に自慢して見せていたということらしかった。誰もが俺と旦那を見て「こんな席だけどおめでとう」って言ってきた。ばーちゃんの親しい親戚たちは「嫁に行く事をとても心配していた」「誰よりも<俺>のことを気にかけていた」と言われた。本当になにか手を貸せることがあれば声をかけて欲しいとまで言われた。
人づてに、俺に対するばーちゃんの愛情話を聞くことがかなり多くそのたびに目頭が熱くなってどうしようもなかった。
俺の親達も同じ様に言われていたせいか、父親が気を利かせてばーちゃんが入院中に見せていたという写真を祭壇に飾っていた。
祭壇に飾られた遺影も俺の結婚式の日に撮った写真が使われ、花好きなばーちゃんを思って送られた本当に沢山の花たちに囲まれ、ばーちゃんの周りが異常に華やかなのがさらに涙をさそう感じになっていた。
人がいなくなるまでずっとどこかの席では俺の結婚式の話が聴こえていた。。。
現在。
ばーちゃんが亡くなって2週間が過ぎた。
こうして日記を書いている今でも思い出すだけで、ばーちゃんのことを考えるだけで涙が止まらなくなる。
基本的に葬儀には出れなかったし、初七日も終わって皆が普通に生活に戻った今でも、一緒に住んでいたわけではないから余計にばーちゃんが居ないことが実感として沸かないし信じられない。
お腹の検診は角田で受けているし、角田にいったときは大体線香をあげに行っているんだけど、、、そのたびにじーちゃんがとても辛く見えた。
今までなんでもばーちゃんがやってくれたが、これからは出来る限り家事も自分でやっていかなくてはならなくなった。今まで触ったことすらなかった炊飯器や洗濯機の使い方を訊いていた。なんだかとても痛々しく見えた。
話をしていると生活の要所要所にばーちゃんを思い出すせいか、俺よりもずっと亡くした哀しみは深く見えた。うちの親も酷く心配して世話を焼いているようだったが、出来る限り俺もちょくちょく様子を見に行ってあげようと思った。
結婚式の披露宴で私のお色直し前にばーちゃんと一時退場したとき、ひっそり渡したプレゼント、「ゼフィランサス」という白い花の球根と植木鉢。
花言葉にも深い意味があるがそれは知りたいやつだけ調べるといい。
俺の子が生まれる予定日が8/10、ばーちゃんの誕生日8/13、この花も(四月に植えて)八月に咲くからどれが早いか競争だよって言って渡した、俺からばーちゃんにとっておきのさいごのプレゼント。
新婚旅行のお土産を渡しにいった日、もう鉢に植えたと言ってた。
その一週間後にばーちゃんが他界した……。
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亡くなったその日、予約をいれていたので気分じゃなかったが産婦人科に行った。
診察待ちしている間も気分が切り替えられることなく手の震えが泊まらなかった。
酷く肩が重く、泣いたせいか頭が痛く、どこかから誰かに見られている感じがずっとしていた。
その時の診察で初めてお腹の子が女の子だと分かった。
診察が終わるとなぜか肩も頭も痛みが引いていた。
きっとばーちゃんも気になって見に来たのだろうと勝手に納得した。
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ばーちゃんはたくさんの花を育ててて、たくさんの鉢植が通夜前に別所によけられてた。でもこの鉢だけその中になくて、気になってた俺はみんなが火葬場に行ってる間留守番だったから探して、見つけた。
鉢が二つだけ大切そうに稲の苗が並んだ温室ハウスの隅に置かれてた……。球根が多かったのか二つに分けて植えたらしく、どちらも同じ名の書かれた札がさしてあった。
入院してた一週間くらいの間、水をもらえなかったのか土が乾いてて、、、たまらない気持ちが胸一杯になった。
水をやって片方の鉢だけうちに持ち帰った。もう片方はじーちゃんに頼んだ。
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人は死んだ時にその人の価値が分かると言うが、ばーちゃんの葬儀はかなり盛大に行われた。
通夜だけで家に入りきらない人数、軽く100人以上の人が参拝し、火葬場でも一部屋に収まらず急遽二部屋借りたほどらしい。
頂いた香典を数えると総計400人以上の人がばーちゃんの訃報を聞いて来たとの事。
俺はもっぱら賄い隊の近所のおばちゃん達と一緒にいたわけだが、どこからもばーちゃんを褒め称えるような話こそすれ、悪口のような話は一切聴こえてこなかった。
あまり歩き回る人じゃないのに、誰にでも明るく元気だったせいか地元では割と人気も高かったようで俺も知らない人達が沢山集まって皆が酷く悲しんでいた。
中でも印象的たったのは、幼稚園の先生と幼稚園に通う子供数人(知り合いの子供だったらしい)。棺の中のばーちゃんを見てよく分からないようなきょとんとした顔をしながら「バイバイ」といって去っていった。
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ばーちゃんは亡くなる前数日間検査入院していたわけだが、その間が平日だったためとそこまでは酷くないと聞いていた俺はお見舞いにいけなかった。
亡くなったのが土曜の昼で、その日に見舞いに行こうと思っていた人がほとんど。
いとこたちも俺もその日にお見舞いに行こうとしていたため、結構後悔している。
前日まで普通に元気に話していたらしく、見舞いに行った人達がこぞって俺の結婚式の話をされたと言っていた。
どうやら入院している時も結婚式の写真を大量に持っていたようで、来る人来る人に自慢して見せていたということらしかった。誰もが俺と旦那を見て「こんな席だけどおめでとう」って言ってきた。ばーちゃんの親しい親戚たちは「嫁に行く事をとても心配していた」「誰よりも<俺>のことを気にかけていた」と言われた。本当になにか手を貸せることがあれば声をかけて欲しいとまで言われた。
人づてに、俺に対するばーちゃんの愛情話を聞くことがかなり多くそのたびに目頭が熱くなってどうしようもなかった。
俺の親達も同じ様に言われていたせいか、父親が気を利かせてばーちゃんが入院中に見せていたという写真を祭壇に飾っていた。
祭壇に飾られた遺影も俺の結婚式の日に撮った写真が使われ、花好きなばーちゃんを思って送られた本当に沢山の花たちに囲まれ、ばーちゃんの周りが異常に華やかなのがさらに涙をさそう感じになっていた。
人がいなくなるまでずっとどこかの席では俺の結婚式の話が聴こえていた。。。
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現在。
ばーちゃんが亡くなって2週間が過ぎた。
こうして日記を書いている今でも思い出すだけで、ばーちゃんのことを考えるだけで涙が止まらなくなる。
基本的に葬儀には出れなかったし、初七日も終わって皆が普通に生活に戻った今でも、一緒に住んでいたわけではないから余計にばーちゃんが居ないことが実感として沸かないし信じられない。
お腹の検診は角田で受けているし、角田にいったときは大体線香をあげに行っているんだけど、、、そのたびにじーちゃんがとても辛く見えた。
今までなんでもばーちゃんがやってくれたが、これからは出来る限り家事も自分でやっていかなくてはならなくなった。今まで触ったことすらなかった炊飯器や洗濯機の使い方を訊いていた。なんだかとても痛々しく見えた。
話をしていると生活の要所要所にばーちゃんを思い出すせいか、俺よりもずっと亡くした哀しみは深く見えた。うちの親も酷く心配して世話を焼いているようだったが、出来る限り俺もちょくちょく様子を見に行ってあげようと思った。
10.19.19:16
幸せって何。
目標を一つ立てようと思う。
今年の正月、物凄く先行き不安な気持ちで初詣をした。
神社の鐘を鳴らしても「この一年どうなるんだろう?」という思いが濃すぎて希望をうまく願えなかった。
そんな一年もあと二か月ちょい。
正直言ったら正月から今までマジで凹むばかりの日々だ。
きっと見てる方もいい加減にしろと言えずにも思ってはいるだろう。
今年の年末年始は笑いたい。
多少は希望もって新年迎えたい。
ってわけで、目標。
【12/31か1/20退社】
12/15~1/15頃にボーナス(らしきもの)があること、20日締めを考えて。
【12月頭には退社希望を相談】
【11月末迄に次の職決定】
と、最終ラインを決めて見る。
まぁ頭の中では夏も似たような逆算予定立てたが、就活する時間が余りとれない&気に入る職がなかった…
最終的に決まらなかったら前にバイトしてた某工場でいいと思う。
この予定は最終ラインであって、もう今の気分はボーナスとかどーでもいいから、早く気分転換したい。
稼ぐだけなら他でもできる。
体裁とか気にしない。
毎日明日が苦痛な日だと思うくらいならやめちまえ。
いっそ勢いで気持ちをぶちまけろ。
頑張れ俺!
だよな!
今年の正月、物凄く先行き不安な気持ちで初詣をした。
神社の鐘を鳴らしても「この一年どうなるんだろう?」という思いが濃すぎて希望をうまく願えなかった。
そんな一年もあと二か月ちょい。
正直言ったら正月から今までマジで凹むばかりの日々だ。
きっと見てる方もいい加減にしろと言えずにも思ってはいるだろう。
今年の年末年始は笑いたい。
多少は希望もって新年迎えたい。
ってわけで、目標。
【12/31か1/20退社】
12/15~1/15頃にボーナス(らしきもの)があること、20日締めを考えて。
【12月頭には退社希望を相談】
【11月末迄に次の職決定】
と、最終ラインを決めて見る。
まぁ頭の中では夏も似たような逆算予定立てたが、就活する時間が余りとれない&気に入る職がなかった…
最終的に決まらなかったら前にバイトしてた某工場でいいと思う。
この予定は最終ラインであって、もう今の気分はボーナスとかどーでもいいから、早く気分転換したい。
稼ぐだけなら他でもできる。
体裁とか気にしない。
毎日明日が苦痛な日だと思うくらいならやめちまえ。
いっそ勢いで気持ちをぶちまけろ。
頑張れ俺!
だよな!
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